以前、「ニーズが自社から出てこないので結局は顧客のニーズを見る。」という話をしたんですが、今回は、コレの構造を深堀りしていこうとお思います。
まず、過去に書いた「
予算立案と選定がおかしいと感じるのは何故か?と言う話。」にSIerのグランドデザイン以後のスキームは、「人的資源、金融、保険の三分野におけるリスクテイカー、責任引き受け主体」と書かれています。そして、それを踏まえた上で、前々回のブログ(
項おじ界隈の技術の付加価値限界の話)に書いた事を見ると、裁量権の無い開発者のニーズは、事業総体から見ると、あまり重要なニーズでは無いんだろうな。と言う事が解ります。
ただ、コレも二転・三転していて、S+P&P、要するに、受託開発から、サービスやプロダクトと言う話になると、そうでもなくなるんですが、
(ただ、自社開発している会社でも開発者の地位が低い事も多いので、そうでもなくもないのかもしれないw)
実際のSIerは、ココから更に、クロスセルや、オープン・イノベーションと進んでいっているので、やはり、開発者の復権には至らなかったのかなと思います(コレは、Webケーのシュリンクと言うか、理想と現実の乖離にも繋がっている)。
それが結果として、「
ローコード・ノーコードで見えるUP開発案件のAS-ISだったモノ(過去形」に書いたように"項目移送ワールド"は「"問題を解決すると言うフェーズ"を飛び越して、世の中から消えていく」と言う事になるのかもしれません。
こう書くと、"項目移送ワールド"は悲観的に見えると思うので、最後に、将来的な展望も書いておこうと思いますが、一旦、ローコード / ノーコードとか、そっちに行って、既存の人とモノが抜け、その後、ビジネス的なメンバシップ型の意思決定者と、エンジニアリング的なジョブ型の技術者にジョブが別れ、更に技術者の多能工化(マーケティング、企画、プログラム・マネジメント、開発)の方向に進めば、エンジニアリング側が自助努力できるような形になっていくシナリオの可能性も有るんじゃないか?と思います(あ、ただし、"項目移送ワールド"が復権するとは限りませんね。)。