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2021/04/21

アクエリアス・エイジねた:2021年以後の世界とICTみたいな話(7)

Tweet ThisSend to Facebook | by nishino
 本投稿は、前回に続けてのコンテンツです。

 ...さて、そろそろ、これからの時代、どうしたら良いのか?と言う話で終わりたいと思うのですが、多極化が進む中で、結局、個々の「民族やコミュニティの尊重」と「国家や企業(多国籍企業も含む)の役割」と言う、一見一致しそうで、完全に一致しない問題って、今後どうなるの?って辺りが焦点になりそうです。

 要するに、従来型のグローバリズム(ワンワールド主義)の崩壊に続き、国家の崩壊、はたまた、企業の崩壊となると、個人主義的な世界になって行くのですが、多様性の維持とかセーフティーネット、民族やコミュニティ間の協調ってのは、誰が、どうやって実現していくのか?みたいな話ですね。


 そう考えると、これからの時代、個々のアイデンティティが重要になるだろうなという気がします(前回、言及した、ナショナル・アイデンティティはダメなヤツなんですが、結局、人間、アイデンティティが重要なんだと思います)。

 アイデンティティという言葉には、「自分の中で自分が連続しているという内的な同一性」と、「自分という存在が社会からも承認されているという社会的な同一性」の2つの意味が含まれている(Erikson, 1959)。

 コレをICT的に言うと、

 プラットフォーム側 vs
  コンテンツ側(映画、漫画、アニメ、ゲーム、YouTuber)

 辺りが代表的な例になりそうです。

 実際、以下のような調査結果も報告されていますし、


 実際、私も(、TVは2000年入社以降、殆ど見なくなったんですが)、最近は、YouTuberが発信するYouTubeのコンテンツを非常に良く見るようになりました。

 ...で、コレを考慮した上で、企業活動に目を向けると、色々な芸風(プロフィット、ベネフィット、労働集約、知識集約)があるかと思いますが、結局、皆、求めるものは、自身の存在意義(社会的な同一性と言う意味でのアイデンティティ)なんだろうな、と思います。

 しかし、存在意義 ≒ 期待に応えること。って生き方は、大変だと思いますね。例えば、「家」でも「社」でも期待されていない方が楽ですし、そもそも、期待に応えると言うのは、労働集約になり易いという話もあるのかも知れません。この理由は、「期待」は所詮、「想像の範囲内」の話なので労働集約になり易いと言う話で、下手をすると、超残をしてしまったり、強いてしまったり、といった事も発生するでしょう。

 一方で、「期待」の「想像を超える」のが、知識集約なのかもなぁ、と思ったりしています。故に、第二回に書いたように、個々がベネフィット創出のため、心機一転、新しい努力をスべきなんだろうな。と思ったりしています。

 ソレには、osscons.jpダケに...「OSSへのコントリビューションが、一手段としては、イイと思うよ。」と、提案をしておきたいと思います。



余談:
 最後、余談ですが、最近、ビッグテック系のSNSの言論統制があった気がしますが、コレ系のプラットフォームは(、反社会的組織が無くならないように)、多様化して行くので、そもそも統制できないので、全体主義化するような事にはならないンじゃないか?と考えます。

 なので、同様に、グレート・リセットのコンテキストで言及された、ICTによる「俊敏な統治」ってのも、透明性ではなく統制にフォーカスしている限り、あまり、当てにならないンじゃないか?などと思っています。

 ICT系に関わっている身としては、あんまり、全体主義化のツールとしてICTが使われるってのは気持ちの良いモノじゃないなぁ。と思ったりしていますが、こう言う心配も、杞憂に終わる気がします。そう考えると、より、ベネフィットの創出に集中できるようになると思います。
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