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2018/11/30

信頼の解き放ち、オープンアーキテクチャやオープンソースと似ている。

Tweet ThisSend to Facebook | by nishino
 最近、ひょんなことから「安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方」という書籍を読みました。本書の内容を要約して説明すると、


 「(グローバル化などに起因して)社会的不確実性が増す中で、伝統的な日本社会が維持してきた安心社会から、信頼社会へのシフトが起きている。」とのこと。

 「安心社会」では、集団主義的で、よそ者を排除し、仲間内でコミットメント関係の構築したり、相互監視・相互規制の仕組みを構築したりすることで社会的不確実性を無くす必要があるため、多くの「機会費用」を必要とする。一方、「信頼社会」では、社会的不確実性を残すが、「機会費用」を必要としないため経済的に効率的である。

 「信頼の解き放ち」とは、「安心社会」でコミットメント関係を続けるほど「よそ者を信じられなくなる」という心理的状態(安心の呪縛から抜け出せない状態)になり莫大な「機会費用」が必要になる。ここから抜け出す推力となるものが一般的信頼で、「信頼社会」へのシフトに必要なものになる。

 なお、前者の「安心社会」では低信頼者(悲観主義者)の高い関係性検知力(地図型知性)が有利だったが、後者の「信頼社会」では高信頼者(楽観主義者)の高い人間性検知能力(ヘッドライト型知性)が有利になるらしい。また、高信頼者は「他人への共感能力が高い」が、低信頼者は「共感能力が低い」という結果も出ている。

 と言うような内容でした。これって、オープンアーキテクチャ戦略やオープンソースソフトウェアと似てる気がしました。

 最近のメーカー製品が「安心」を届けられなくなってきているのは、クローズドなプロダクト、垂直統合事業モデルなど、その経済的な非効率からかもしれません。

 それに代わって、オープンアーキテクチャやオープンソースと時代はシフトしてきており、そこでは「信頼」が大切になって来ているように思います。確かに、「安心」を失い、「情報の非対称性」を残すクローズドなプロダクトは、オープンソースソフトウェアと比べて「信頼」され難くなってきている気がします。まぁ、確かに村社会の中で良いモノは生まれ難いですよね。

 また、一般的なプロジェクトで、ステークホルダー・マネジメントを行うようなケースでも、安心社会では難しく、高度なプロジェクトを遂行するようなケース程、信頼社会(若しくは高信頼者の関与)が必要だと、最近、思ったりしました。

<参考>


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