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2019/09/27

こないだ、生産技術界隈人達と酒を飲んだ話。

Tweet ThisSend to Facebook | by nishino
 先日、生産技術界隈の集会のようなものがあり、私は、前回のネタに以下を付録させたような内容を喋ったりしました。



 若手(私も含め、ただし、アラフォーですが)も集まりソコソコ盛り上がったんですが、話を聞いていると、
  • トップダウン的だったり、
  • デマンドサイドと距離があるサプライサイドだったり、

 ポジションによって色々と大変だなぁ。...と思ったりしました(私は、デマンドサイド寄りでボトムアップが効きやすいポジションにいるので比較的、裁量があるンだなぁ...と)。その中で幾つか思ったことがあったので、今回、ソレについてチョット書いてみようと思います。

<オーナーシップについて>

 人のやっていることを引き合いに出して、「xxxとしては云々...。」(xxxには、大概、組織名称が入る)と批評を始める人と話すと、「...なんだかなぁ。」となるケースが多いんですよね。で、コレ、色々と分析をしてみると、オーナーシップが欠如しているケースが多いです。何をやるにしても、オーナーシップって必要だと思うんですが。

 しかし、解せないのは、何故、オーナーシップの無い人間が、人のやっていることに口を出してくるのか?という話ですが、

 「過去の経験上、"組織のスキーム内で時間的に寄与していれば(、当人にとって)、都合がイイ。"という風に考えている節がある。

 と思っています。こう言うと「悪い奴」って感じですが、皆がそうではなくて、コレ、「AS-ISに問題が無い。」若しくは、「AS-ISがベスト・エフォートだ。」と考えている人も「≒」なんですよね。

 なので、TO-BEを考えて活動している人の動機が解らない場合、予算認可をするタイミングでは、それの説明を要求すべきと思うンですが、その場に参加しない人は、黙って、それを見守った方が良いンじゃないか?と思います。

 ちょっと前に、日本では変化を起こすのに苦労すると言う話、そして、前回は、物事を円満に収めてシャンシャンと言う話をしましたが、日式的安心社会は「相手の損得勘定に基づく相手の行動に対する期待」を中心に構成されているので、AS-IS派に対して損失を与え得るTO-BE派の提案はハードルが高いのかも知れないです(要するに、損得勘定のチェーンで、デッドロックを起こしていると言える)。

※ 一方で、信頼社会は「相手の人格や行動傾向の評価に基づく、相手の意図に対する期待」を中心に構成されている。また、昨今、様々な情勢の変化から、安心社会の問題が顕在化し、信頼社会のへのシフトが必要とされてる。

<価値の定量的評価について>

 ここの所、価値について考えているので「価値ってどうやって測定したらイイの?」なんていう質問を受けてしまい、自分なりに思い考えてみました。

 (しかし、アレですね、こう言うの、先ず、自分の考えを述べてからにして欲しいですよね。ほら、"大人は質問に答えたりしない"って利根川的な人も言ってますし。)

 と言う事で、以下のリンク先にも纏めてみましたが、

 「基本的な価値とは、何か活動をして産み出した、モノやサービスが持つ様々なニーズを満たす有用性。

 ...等と言う(定義する)事が出来そうです。

<参考>


 価値とは、古くは(マルクス経済学では)「労働」の産み出す「商品」でしたが、昨今、肉体労働が知的労働に変って来ており(要するに労働の量から質に変わって来ており)、商品の製造(転写)工程、工数の少ないソフトウェアやITサービスなどの商品が産まれてきているので、価値の定義も変わりつつあるように思います。

 また、バリューチェーンが長くなって世の中が複雑になった昨今、なんとなく、以下のESG(環境・社会・ガバナンス)の「見えない価値」にあるように、デマンドサイドとサプライサイドの双方の関係が重要のように思いました(なんでもそうですが、Win-Win で無いと経済活動も続かないですし)。

 なので、ベネフィット・マップの「三方よし」版を作成してみたらどうだろう?などと考えました。ベネフィット・マップは、「ポートフォリオ →(1)→ プログラム →(2)→ プロジェクト(プロダクト)」の(2)の部分を記述しているだけですが、三方と言うか、ステークホルダーを列挙して、其々のリレーションシップ(デマンドサイドの要求と、サプライサイドの提供物)に評価を加えて計算する的な感じで考えています。コレについては、次回、図でも作成してみようかと思っています。
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